甲子遅れの卒業式
2007年3月1日

  大東亜戦争の終戦により、卒業式が行われなかった台湾屏東市の元「栄国民学校」の卒業生が、古希を超えたこの頃、遥遥日本各地から母校の屏東県立中正国民小学に戻り、台湾在住の方と共に、校長先生のご好意によっての卒業式が行われた。

 

宮崎日々新聞に掲載された記事


 
 
     
 
     
 
     
 
     
 
     
 
     
 
     
 
     
 
     
 
     
 
     
 
     
 
     
 
   

宮崎日々新聞社で日台の親善記事として掲載予定
2007年3月15日

  私は、戦前日本の植民地であった生まれ故郷である台湾南部の屏東小学校を昭和20年3月、戦争末期で空襲が熾烈を極め、卒業式が挙行されないまま卒業しました。最近そのことを現在の校長先生がお知りになり、「当時の卒業生の皆さんが、台湾にお出でになれば、62年遅れですが、卒業式を挙行しましょう」と仰って戴き、私達の同期会会長が奔走して全国に散らばる同期生に連絡。老骨に鞭打ち私を含め20数名が、去る3月1日懐かしい生まれ故郷の母校における「62年遅れてやって来た卒業式」に出席しました。
  当日は、全校生徒が拍手して私達卒業生を温かく出迎えてくれ、劉仕彩校長先生の歓迎挨拶の後、和やかな雰囲気のなか式典が始まり、校長先生から一人ひとりに、卒業証書が授与され、卒業生一同目に涙を浮かべ精一杯に「仰げば尊し」を斉唱、在校生の日本語による「蛍の光」に送られて卒業式を終え感無量でした。
  当日、この卒業式は、日台親善行事として台湾マスコミの注目を浴び、テレビや新聞で大きく報道され、卒業生一同は感激のうちに、ささやかながらも日台親善の役割をも果たし得た満足感に浸りつつ、台湾各地を巡り帰国の途に着きました。

     
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