元日本海軍兵士許昭栄氏が焼身自殺
2008年5月20日

「台籍老兵協會理事長」許昭栄氏が2008520日新総統就任日の夕方、高雄 旗津の「戦争と平和公園」内にある「台湾無名戦士慰霊碑」の前で焼身自決された。享年80歳。主なる原因は「台湾無名戦士慰霊碑」の除幕式や式典で陳水扁氏に幾たびとなく出席を要求したが、悉く断られ、総統の席を降りるまで一度も現地に足を運ぶことがなかった。それに「戦争と平和紀念公園」が「八二三砲戦勝利記念公園」とする事を高雄市議会が決議し、新党や親民党、国民党ならまだしも、民進党、陳菊の高雄市政府もこれに賛成し、台湾人戦没者を含む、全ての無名戦士の碑ではなくなってしまうということに対する不満と共に、台湾出身と中国大陸出身の戦没将士に対し、政府が非常なる不公平な差別待遇をとっており、特に総統陳水扁氏に至ってはこういう状態を全然無視しており,無情至極だと怒っての抗議自焼である。

因みに
「台湾無名戦士慰霊碑」は有志者の支援もありましたが、大部分は許昭栄氏が全 私産を投じて建立した碑です。)
 

"しゃぼん玉浮沈の果ての死は一瞬、君逝くや高雄の空の大花火"
Andy Chang

(Andy Changさんは在米台湾人科学者)

 

謹んで烈士許昭榮先生に黙祷!

 許昭榮氏の告別式は2008年6月7日午前10時半高雄鳳山市の鳳山基督長老教会で行われます。そして葬儀は日をあらためて遺嘱により東海岸にて海葬でなさいます。
 

   

   

無情なる阿扁政府に抗議す!  (2005年8月16日 「公視」より録画 )               

(ムービーは「標準のボタン」列にある  を押し、BGM を止めてからご覧ください。)


許昭榮氏を惜しむ!

  貴様は5月10日明るい声で東京の石戸谷さんに「20日の総統就任式に総統府前で焼身自殺をする決意だったが、止めた」、と電話を入れたそうではないか? それが何故だ? 「何故に死んだかー 散ったのか」

  生き延びて最後まで戦うのが男じゃないか! 貴様が焼身自殺をしたところで今の政府や社会が同情してくれるとでも思っているのかい? 元日本兵台湾人の宿命はもう決まっているのだ。どうともなることはないよ。

  厳しいこと言ったけど、貴様と一緒に最後まで戦いたかった。戦友をなくして悔しい。ご冥福を祈ります。

                                                      郭徳發 2008年6月1日

   2008年6月5日豪雨のなか 故許昭栄先生自決の現場にて合掌す

 


[草莽の記 杉田謙一 より転載]

元台湾人日本兵・許昭栄さん(台籍老兵協会理事長)が
抗議の焼身自決

 

 元台湾人日本兵・許昭栄さん(台籍老兵協会理事長)が抗議の焼身自決
 ご冥福をお祈りします。
 日本時代には自らも日本兵として戦地に赴き、終戦後は日本軍に協力した者として国民党政府から睨まれて中国戦線に投入され、苦難の道を辿った台湾人日本兵の補償に奔走し、戦地に倒れた英霊の慰霊碑の建立に尽力してきた許昭栄さんが20日夜、台湾高雄市旗津(きしん)の「戦争と平和公園」内にある「台湾無名戦士慰霊碑」の前で焼身自決された。享年80歳。
 遺書が残され、8年間の陳水扁政権でも台湾兵の慰霊に全く理解を得られず、馬政権には期待できないとして、台湾国内ではまだまだ認知されていない元日本兵への慰霊や福祉問題についての抗議が記されていたとのこと。
 国民党独裁時代の台湾では、第2次大戦で日本兵として出陣した者はむしろ肩身の狭い思いをし、慰霊はおろか生還兵の福祉など全く問題にされなかった。筋金入りの台湾独立派でもあった許さんはそのかどで3度も牢にぶち込まれ、挙句にはカナダへ亡命同然の生活を長年強いられてきた。台湾に帰国後は、政府に請願して慰霊碑建立の土地を確保したり、自費を投じて無名戦士の慰霊碑を建立したりと東奔西走の日々であった。
その半生は、『愛する日本の孫たちへ』(桜の花出版)の中で、「元日本兵の台湾人のその後、皆さんは知っていますか」と題されて語られている。(後略)
 ああ。なんたること。台湾潮音寺の慰霊や「台湾無名戦士慰霊碑」へ訪問させていただけたのは許先生がみえたお陰。
 台湾の「靖国」を作るとがんばってみえたお姿が目に浮かびます。
 あの広大な土地が慰霊の公園となると楽しみにおっしゃって見えましたね。台湾のため、日本との共生のため、必死にご活躍されてみえ、ほんとに頭が下がりました。
 資金繰りにご心労してみえ、ほんとに申し訳なく思っておりました。
 あのときの先生の御情熱に動かされ、一緒に参加したものの有志で愛知県では李登輝友の会をつくろうということになり、今も活躍させていただいています。
 先生の真心にお応えしようとして着実にがんばっております。

 台湾の八田ダムにも桜を植える活動を引き続いてやっていますよ。先生の情熱と志は私の中にも、友の中にも確実に根付いております。日本の若き青年の中にも確実に広がっていますよ。
 なんとも無念なことでしょう。しかし、先生が人生かけて築かれた、この日台友好の絆はもう切れるものではありません。ほんとに有難うございました。
 安らかにお休みください。

 

 

[「アジアの真実」より転載]
台湾人元日本兵が焼身自殺

 高雄市で20日午後7時ごろ、「台湾無名戦士記念碑」の前で車が燃えているとの119番通報があり、消防車が出動して火を消し止めた。車内から焼死体が発見され、台湾人元日本兵の許昭栄さん(80)と分かった。台湾人元日本兵は大東亜戦争中、日本軍として出兵し南洋戦線で活躍したが、戦後になって国民政府に邪魔者扱いされ、中国戦線に駆り出された。多くが死亡し、生き残った老兵も苦難の人生を送った。許さんは21年前にカナダから帰国し、台湾人日本兵の補償問題に取り組み、著書もある。努力が実り、2005年に旗津に「台湾無名戦士記念碑」が立ったが、今年になって碑のある「戦争と平和記念公園」の名が「平和記念公園」と改名され、金門島での戦死者の碑も並立されることが決まった。遺書には、陳総統が記念碑のテープカットに来ないことを恨む文言が書かれてあった。

 

 悲しいニュースです。台湾人元日本兵の話はこのBlogで何度も取り上げてきました。彼らは当時、日本の一員として誇りを持って日本を守るために志願し勇敢に戦ったにもかかわらず、戦後台湾が日本でなくなったために、日本兵であったら誰もがもらえたはずの恩給ももらえず、勲章ももらえず、日本で貯金していた給料さえ返ってくることはありませんでした。それどころか、日本ではその存在さえ語られることがなく、忘れ去られようとしている台湾人義勇兵達。

 許昭栄氏は知る人ぞ知る、大東亜戦争および台湾内戦、共産軍捕虜、朝鮮戦争と台湾兵のおかれた境遇を世の人々に知らしめんと、大変な尽力をされた方です。その方の焼身自殺。自殺の中でも最も苦しい方法である焼身自殺は、大きな抗議の意味を相手に伝えるときに行われると聞きます。上記記事には、遺書には陳総統が記念碑のテープカットに来ないことを恨む文言が書かれていたとありますが、台湾の報道によると、根本的な原因は「台湾無名戦士記念碑」が事実上の撤去される方針になったことへ対する台湾政府への抗議の意味を込めての自殺であるということです。(参考記事→ 台湾の声5/22

 戦後60年、彼らはどれだけ苦しい道を歩んだのでしょう。どれだけ悔しい思いをしたのでしょう。努力の末、戦後60年かけてやっと自分たちの存在を後世に伝える記念碑を守ろうとした許昭栄氏に敬意を表したいと思います。そして、日本兵として日本を守るために戦ってくれたことに、日本人として心からの謝意を伝えると同時に、それに何ら報いることのできなかったことを日本人として謝罪したいと思います。安らかにお眠りください。あなたたち台湾人日本への存在は忘れません。 

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