首を長くして待ちに待っていました初の
E・メール、今日(2003/04/01)届きました。 うれしき限りです。
郭 徳発 様
初めてのメールをおくります。
久しく御無沙汰しておりますが お変わりないことと拝察いたします。
私は相変わらず元気にしております。
パソコンが入って、そろそろ50日近く、漸く、手紙は、纏められる程度にはなっ たとおもいます。
2、3日前から、テスト的に、友人相手にメールをおくり、なんとか受信も出来そうです。
貴兄のアドバイスで、やる気になり、これまでになりましたことに、感謝します。
実は、3月10日飛62関東有志の集い(73会)を、昼食会で開催しました。貴兄と
同じ岐阜整備学校をでた同期の人で、平井武夫(旧姓、小川)さんと、私が世話人になり、24名に案内し、15名出席、当時の中隊長、伊藤忠吾さんも出てくれました。内、二人が70代、後の方は殆ど80代で、90近い方も見えて下され、遠く、大阪から貴兄も御存じの、岩本大尉(整備班長)、及び佐渡が島の、古い下士官も
参加してくれました。又、西筑波に居た人は、6名位だから、「飛龍」や 「桜弾」を知らない人が多いのです。
此れ迄は、温泉地で1泊してやっておりましたが、健康面で不安に思う方もあり、都内の近場がよいとの 希望も多くありまして、簡単にした、と言うわけです。これも自然の成りゆきでしょう。
此れからは、慰霊祭が忙しく、今月だけでも三件はあります。4月15日の航空碑前祭では、横浜の 呉さんも見える筈です。貴兄に会った時の話しがある、とおもいますが御会いするのが楽しみです。
「桜弾」関係の奉納は、遅くなりましたが、此れから本格的に取り組む体制が出来たので、7月末までには、実現できるとおもいます。
色々と便りしたいのですが、馴れないワープロの文で、時間が係り過ぎて、少々疲れました。又、メールを送りますので、此れで失礼します。
どうか、奥様共々、お元気で過されます様念じます。
前村 弘 拝
2003年4月11日
二通目のメールが届きました。大分慣れて来たようです。
「折角長く掛かって、まとめた文が、消えてしまうこともあり・・・・・」。
ですが:
前村様、 「メモ帳」
か、 「ワードパット」
を使って文書を作成、二・三行毎で
「上書き保存」
をし、文書が完成した折に、 「すべて選択」、
「コピー」
して目的地に 「貼り付け」
しましょう。そうすれば、消えてしまう心配は有りませんよ。
郭徳発さん
先日のメールで、貴兄のホームページ他持丸さん、貞谷さん、等の事も分かり、
関心が出て来た所です。其れに、玉峯さんのことは、なんと、気の毒な事で、恐ろしい事でしょう。 幾ら戦争に関係していたとは言え、此の様な事があってよいものでしょうか?
世の中には、神や仏は居ないのでしょうかね、慚愧に耐えない思いです。人が人を裁く事に、果たして、問題は無いのですかね。 此の世の中には、正義は有る。と、信じたいのですがね。
扨、持丸さんのページの、特幹入隊表から持丸智明 浜松130部隊 一部の方が宇都宮教導飛行師団に転属し、硫黄島に配備され十人以上が玉砕されたので、毎年五月一五日、靖国神社で慰霊
祭をおこなっています。浜松では、すぐ隣の教育隊であったし、又、宇都宮でも同じ飛行部隊であったので、必ず参列しています。
唐嶋田静
札幌の航法同期生、林健一さんの紹介で、たよりを出した事があります。
奥田栄次郎 航法同期生で、この十年位毎年会い、飛行第六一戦隊(雷撃隊)でした。会津若松市の人です。
宮田久夫 浜松97部隊から、操縦に受かり、宇都宮で訓練していた。戦後は長崎航空の機長として定年。 長野の大町市在住、毎年、航空碑前祭に参加し、会って居ます。
貞谷さんのぺージは、すごいですね。パソコンのベテランですね。踊るマンガとは!
貴兄の経歴も又、あらためて 見せて貰い、実によく記憶しているし、妙薬の歌などは、或いは、私がうたったものでは?
パソコンは、少し慣れては来ましたが 度々、折角長く掛かって、まとめた文が、消えてしまうこともあり、娘に大変、迷惑をかけている始末です。きょうは、此れで失礼します。
前村
2003年4月17日
三通目のメールを受け取りました。一月の中旬に習い始め、パソコン教室にも通わず、独学でこんなにも進歩しました。感服致しました。
郭さん
御無沙汰で、すみません。メールもワープロも、未だ時間が掛かり、悪戦苦闘で す。又、相変わらず用が多くて、ゆっくり時間をかけて取り組むことが出来ず、
いつになったら上手くなるか? 頑張ってみます。
持丸さんからメールを貰いまして、私も返事はしましたが、多分届いたと思います。
尚、十五日、航空碑奉賛会碑前祭が有り、懇親会の折りに、貞谷さんから声をかけて貰い、予期していなかったので、ビックリしました。それだけに大変嬉しく、貴方の紹介だけに、旧友と再会した思いでした。多分、メールされた事でしょうが、デジタル写真を写してくれたから、その内に届くでしょう。お会いした日から、次々と、急用発生し、 漸く夜になり、貞谷さんと、貴方にメールが出来ましたが、届けば嬉しいのですが?
時刻もおそくなりましたので、此れで失礼します。
前村
2003年7月31日
四通目のメールです。 益々上達いたしました。
郭 候補生 殿
いつも、ちらほら、貴兄のことを思い浮かべては、メールをしなければ!と思うのですが、これまでの失礼をお詫び致します。
奥様共々、きっと、お変わりなく、お元気とは思っておりますが、お伺い致します。
当方、幸いにも、二人とも、元気にしておりますれば、他事乍ら、御放念下さい。
今年の春迄は、何をやっているのか、忙しく、結果的には、大した事をしたような思いも無く、只、頭の中が、空回りしていたかも?
6月始め、腎臓に小さな石2個が残っていたので、破砕しましたが、僅か一晩泊まりの入院で、無事終了。これで、体内には、邪魔者が無くなり、スッキリした気分です。
メールは、持丸さん、貞谷さんと、たまに交信しております。二人ともなかなか元気な様子で、頼もしい限りです。
直接会ったのは、貞谷さんと航空碑前祭で、会い、ゆっくり語る時間が無く、残念でしたが、病気がちで有ったにしては、中々の元気で、頼もしい限りでした。
もうすぐ、終戦58回目がやってまいります。恒例の靖国参拝を飛62会の戦友が集まって行いますが、今年は、16、7名くらいでしょう。残念乍ら、皆さん、高齢になられ、体調面で、減って行く様です。
先日、航空史家、渡辺洋二さんが取材に来て、キー67の特攻機、「と号機」、「桜弾」に関して、いろいろ聞かれました。9月末発売の10月号の、「航空ファン」に掲載されるということです。
入手したら、送りますので、お待ち下さい。 取急ぎお詫びのメールまで
前村
2003年8月11日 五通目のメールです。
郭さん
メールを貰い、ほっと、しました。元気である事が判って !
実は、呉正男さんから、台北市在住の邱錦春さんは、私と航法学校の同期では無いか? という事で、産経新聞の記事他、コピーをファックスしてくれたのです。呉さんは、40年前会った事が有るらしい。成る程、資料を読んで、若しかしたら?
と思って、今日、邱さんに手紙を出した所です。航法の同期は、150名しかおらず、名簿は無く、判っている人は、30名位で、然も、戦死した人が多く、探していた所です。
手紙に、郭さんと呉さんの住所、TELを書きましたので、若しかしたら、連絡があるかも ? その節は、宜しく頼みます。
西筑波の事は、インターネットで調べたのですか? 確かに、其の通りです。飛行場まである事は、知りませんでした。よく、調べましたね。大したものです。
終戦の日がやって来ました。もう、58年にも成りますが、我々も、年を取る訳です。飛62の有志16名が揃って靖国参拝を行い、その後、軽食により、懇親会をやります。当時の中隊長、伊藤忠吾さんもみえます。
皆さんと写真をとりますので、送ります。
今日は、此れで失礼。体を大事にして下さい。
前村
2003年8月14日 六通目のメールです。
郭徳発さん
お願いしていた、邱さんえの、連絡をとって呉れて有難う。
本14日、本人から、TELがありまして、正しく、宇都宮航法学校の同期生であった事が判りまして、喜んで居ります。台湾出身の方が居た事は、知りませんでした。今年の10月、訪日の予定が有る由。少ない、同期生ですから、都合の着く、人に連絡をとって、再会を楽しみにしています。卒業した同期生は、150名しか居らず、然も、名簿が無いので、今、判っている人は、20名位、ですから、貴重な同期生です。
取り合えず、御礼のメールしました。有り難うございました。
前村
2003年9月26日 七通目のメールです。
郭徳発さん
元気にしていると、思います。
私も、今は、大丈夫ですが、78才になり、同期生や、戦友の中には、人生迄卒業する人が、ちらほらありまして、矢張り、老いを感じる此の頃です。
貴兄も知っている、戦友の淀川洋幸さんが、8月26日に亡くなりました。長い間の糖尿があったのですが、膠原病になり、衰弱が酷く、体力がもたなかった様です。伊藤中隊長他5人で、告別式に参列し、伊藤さんの弔辞や、生花等を贈って、戦時中の活躍、戦後の戦友会の御世話等に対する、礼を尽くした積もりです。
尚、来月の、納骨式にも、参列を頼まれて、おります。
扨、先日来、邱錦春さんの件で、御世話になり、感謝しています。私から、手紙ゃ資料を送り、丁重な手紙を戴きまして、お互い、喜んで居りますが、若しかしたら、10月に訪日するような話があった様に思いましたが、一度TELをしてみたいと思って居ります。電話は、会社の番号は、判りますが、御自宅が判りません。
東京から架ける要領を教えてくれませんか。御面倒をかけて、誠にすみません。
宜しくお願いします。
貴方も、どうか、十分、体に気をつけて、奥様共々、元気に過されますよう、念じて居ります。
御地に、行って見たい気は有るものの、なかなか、決心がつきません。今後とも、宜しくお願いします。
前村
貴方のお陰で、メールが出来るようになり、感謝しています。
2003年9月27日 続けて二通のメールを頂きました。
郭さん
邱さんの、TELに付いて早速、教えて頂きまして、有難うございました。
お陰様で、連絡が取れました。 10月の末頃、来日の予定が有ると聞きましたので、宇都宮航法学校の同期 として、何人か集まって歓迎したいと思っております。
日本は、やっと秋空で、凌ぎ易くなりました
先ずは、取急ぎ、御礼迄、感謝します。
前村
郭さん
メールで、回答する積もりでおりましたのに、もう、忘れてしまい、恥ずかしいおもいです。済みません。
少し、パソコンに馴れては来ましたが、未だに、悪戦苦闘です。そろそろ、デジタルカメラと、プリンターが 欲しくなってきましたが、もう暫くしたら、買いたい所です。今の所、娘に、何かと、面倒をかけています。 ろです。レター
ペーパーの、デザインは、浜松に居る次女が作ってくれまして、大変、気に入っております。
札幌に居る航法同期生からも頼まれて、名前入りを差し上げたら、大事に、使っている様です。次女も、パソコンで内職的に、仕事をしています。主人は、自衛隊の戦闘機操縦士で、今は、教官でしょう。防大出です。
貴兄は、来日の予定はありませんかね! 会いたいものです。
前村
2003年10月10日 十通目のメールです。
郭さん
東京は、すっかり秋になりました。もうすぐ、朝晩は、暖房を考えるのも近い事でしょう。
昨晩、邱さんから、TELが入り、10月25日東京に着くと。約一週間あちこち、ようが有るらしいです。
私達、航法同期生としては、26日に、5、6名が集まって、歓迎会を予定して居ります。
残念乍ら、お互い覚えて居ない間柄、只、150名の同期生が、共に、4ヵ月訓練した仲間であり、思いで話しで盛り上がる事でしょう。
貴兄には、何かと、御世話になり、改めて、御礼申し上げます。其の様子は、後で、お知らせします。
メールが出来るようになり、とても、便利。 重宝しています。此れも感謝。
前村
2003年10月11日 十一通目のメールです。愈々添付ファイルの伝送を実行してみるそうです。
郭さん
今日、鎌倉で、故淀川さんの法事があり、伊藤さん他一人と、参列して、夕刻に帰り、メール拝見、添付資料の送り方を指導して頂き、早速、実行してみます。又、一つ進歩が出来そうで、嬉しい限りです。
でも、矢張り最初は娘に指導して貰いましょう。 近い内、実行します。多謝。
前村
2003年11月18日
待っていました添付ファイルの写真が届きました。 写真のサイズは 1280x960ピクセル・480Kb です。前村さん写真はサイズを適当に縮小して伝送しましょう。 下の写真は 640x480ピクセル
・80Kb に縮小しました。
From: "前村" <maemura_h@ybb.ne.jp>
To: "郭徳発(かく とく はつ)" <ktf.k15@msa.hinet.net>
Sent: Tuesday, November 18, 2003 12:57 PM
Subject: 写真送ります
前村