2001年九月号の「明日への選択」 近年、日本に入ってくる外国人が増加の一途を辿っている。わが国では、長期滞在の外国人に外国人登録証(外登証)の常時携帯を義務づけていて、通常それを見れば国籍などの身分が分かるようになっている。 ところが、在日台湾人の場合は、外登証の国籍表記が「台湾」ではなく「中国」になっている。なぜ中華人民共和国の国民ではない台湾人の国籍が「中国」になっているのか。まことに奇妙な話である。 今、在日台湾人の間でこの国籍表記を「台湾」に改める動きが起こっている。その運動の責任者である在日台湾同郷会会長で、栃木県で開業医を営む林建良さんに聞いた。
なぜ台湾人の国籍が「中国」なのか 私が初めて日本に来たのは一九八七年、留学が目的でした。当時台湾の学生にとって留学というのは当たり前のことでほぼ全員が留学していたんですが、私がなぜ日本を選んだのかというと、ちょうどその時、日本の国費学生にあたる交流協会留学生の奨学金試験があり、運良くパスしたんです。それでもともと糖尿病に関心があった私はその研究をしたいと思って受け入れ先を探したところ、糖尿病の権威が東大におられるということで、手紙を書いたら「来なさい」ということになった。 直接的にはそういう経緯で日本への留学が決まったわけですが、私はそれ以前から日本に対して強い好奇心を持っていたんです。というのも私の父親は元学徒兵で、戦後は台湾の東呉大学で日本文学を教えていた大変な日本びいきなんです。それで幼い頃から日本のことをよく聞かされていて、興味を抱いていた。 ただ、学校では父親が語る日本とは違う日本というものが教えられる。さらに付け加えると、私のような戦後生まれの台湾人が様々な書物と人づてに聞く日本というイメ−ジもあるわけです。この三つはそれぞれにかなり違うものだった。ですから、どれが正しいのか実際自分で確かめてみたいという気持ちがずっと心の中にあったんですね。 ■こうして日本にやってきた林さんだったが、待っていたのは当初抱いていた興味や期待を裏切るような出来事だった。 最初、外登証の発行手続きをしたんですが、交付された外登証を見ると、自分の国籍が「中国」になっている。私は在留申請書の国籍欄にきちんと「台湾」と書いたはずなのに、なぜ国籍が「中国」と書き換えられているのか。すぐ窓口の係官に抗議したんですが、「あなたたちは自ら『中国』と言っているじゃないか」と、ぶっきらぼうな返事が返ってきた。 確かに、当時の国民党政権は「中華民国政府が全中国を代表する」と言い続けてきたから、そう言われると返す言葉もないんですが、私自身はあくまでも「自分は台湾人だ」という気持ちだから非常に悔しかった。 また私だけでなく、これまでに多くの台湾人が国籍表記の訂正を求め、入管や各地の市役等に抗議してきたんですが、その都度役人から「日本政府が承認していない中華民国、台湾などの表記は不可能」などと冷たくあしらわれてきた。これでは台湾人の尊厳も何もありません。 「中国」は二通りある? ■さて、林さんたちが始めた運動は「正名運動」という。文字通り国籍名を正すという運動であるがこの六月、十人の有志で発足。まず最初に起こした行動は台湾政府にこの問題を陳情するために団体署名を集めることだった。 日本には台湾人の団体がたくさんあるんですが、六月中旬からそうした我々の同胞に呼びかけたところ、わずか二週間の間に百三の団体から署名が集まった。なかには台湾との友好を大切にする日本の民間団体の協力もあり心強く思いました。それで七月五日に、この署名を添えて台湾政府に陳情書を送ったのです。 台湾政府の反応はとても早かった。翌七月六日には台湾外交部がこんなコメントを出したんです。「この件については、台湾政府は長年日本政府と交渉し続けてきた。しかし日本政府が全くいい反応を示さなかった」と。驚きました。私は、この問題の責任は台湾政府が長年放置してきたことにあると思っ ていたから、台湾政府に陳情書を出したんです。しかし台湾政府はこれまでも日本政府にきちんと抗議していたということです。逆に日本政府はこういう声があったにもかかわらず、ずっと放置してきた。つまり、問題の所在は日本政府にあるということが明らかになったわけです。 それで私達は日本政府に対して、即刻台湾人の尊厳を踏みにじる行為をやめ、在日台湾人の国籍表記を「台湾」に改めるよう要求するという主旨の抗議文を、七月九日に出したんです。 ■ちなみに、台湾政府は林さんたちの陳情を受けて再度日本の外務省に表記を求めるよう要請(七月十二日)。陳水扁総統もこの問題の解決に前向きで関係当局に支持を出しているという。一方、林さんたちは、日本政府からの回答が一向にないことから、八月八日、入国管理局にデモをかけ直接抗議文を届けた。また、翌九日には法務省の担当者と電話で会談し、責任ある説明を求めたという。 これまでの経緯で、日本政府の立場がどのようなものかということはむろん知っていましたが、電話ではまずこんな質問から初めました。 日本政府が在日台湾人の国籍を「中国」にしているのは、台湾が「中国の一部」という中国政府の立場を認めているからなのかと。そしたら、「認めていない」と言う。当然です。日本政府は一九七二年の日中共同声明で、台湾問題に関する中国政府の立場を「理解し、尊重する」としただけで「承認する」とは書いていませんから。 では、なぜ台湾人も中国人も同じ「中国」と表記されるのか、これでは区別がつかないではないかと聞いた。そしたら法務省は、同じ「中国」でも、台湾人の場合と中国人の場合では国籍欄に「中国」と書かれていても意味が違うと言う。 どういうことかというと、外国人登録には在留申請書のほかに旅券の提出が必要なんですが、法務省は中華人民共和国の旅券を提出してきた人の場合は、「中華人民共和国の略称」とみなして国籍欄は「中国」になるという。しかし、台湾人が中華民国の旅券を提出した場合は、「中華人民共和国の略ではなく、より広い概念の『中国』だ」と。つまり、同じ「中国」でも、二通りあるというのです。 それだったら私の外登証に「この場合の 『中国』は中華人民共和国ではない。概念的な『中国』です」という説明を書いてくださいと言った。そしたら「それは書けない」と。そんな長いものは書けないでしょうけれども、同じ「中国」という二文字にわざわざ説明が必要なら、「台湾」と表記した方が明らかに合理的です。 そもそも、外国人登録法(第四条)には「正しい国籍の記載義務」が明記されている。だから、台湾人の国籍を「中国」にすることは、日本政府が自ら違法行為を犯しているとも言える。ですが、法務省はこんな言い方をするんです。「これは国籍等であって国籍ではないですから」と。確かに、外登証の記載項目には「国籍」ではなく「国籍等」と書かれている。しかし、これは言い逃れとしか言いようがありません。しかも法務省は、たとえ国籍が「中国」になっていても、その次の行に「台湾省云々」 と本籍が記載されているから台湾の出身ということが分かるじゃないかと言うんです。 けれども、実際はどうなっているかというと、私自身の本籍は「台湾省台中市」で間違いはないのですが、台北市の人間の場合は「台湾省台北市」と記載されている。しかし、台湾には「台湾省台北市」などという行政単位は存在しない。台北市は特別行政区で、台湾省の一部ではないのです。それを指摘したら「こちらの手続きの誤りだ」と。つまり、そういう基本的なことですら法務省は知らないわけです。 こうした対応を見ている限り、法務省には確たる原則などないように見受けられます。だからこそ、曖昧な役人的ゴマカシ、詭弁に終始するのでしょうが、我々からすればきわめて無責任な話で、台湾人を侮辱しているとしか思えません。 各国は全て「台湾」 ■ここで、日本における台湾人の国籍の扱いについて概括的に説明しておきたい。一九五二年、日本はサンフランシスコ講和条約で台湾及び澎湖諸島の主権を放棄。これにより、台湾人は日本国籍を離脱。同年施行された外国人登録法によって日本国内 に滞在する台湾人には外登証が交付されたが、そこには国籍が「中国」と記された。 当時、これは中華人民共和国ではなく国交のあった中華民国を指していた。しかし一九七二年、日中国交正常化により、日本は台湾と断交。国家として承認しない以上、台湾人の国籍は厳密には無国籍扱いとなるはずだが、戦後長年にわたり台湾人の国籍が「中国」とされてきたことから、これを改めては混乱を招くという事務上の理由で、国籍表記はそのまま「中国」が使われ今日に至っている。では、日本と同様に台湾と国交のない諸外国が、台湾人の身分をどのように表記しているのか。林さんに聞いてみた。 私たちの調べで分かった主な例を紹介したいと思いますが、まず米国は「Taiwan」、ドイツも「Taiwan」、イギリスは「Taiwan-ROC」(中国人は「China-PRC」、韓国は「タイワン」(発音表記)、以下フランス、カナダ、シンガポ−ル、南アフリカ、ニュ−ジ−ランドはみんな「Taiwan」で、「中国」と表記している国はない。全部「台湾」という表記ですから、台湾人と中国人が一目で区別できるようになっている。 さらに私たちは、国交の有無に関わらず、「中国」と表記している国はないのかと思って隈無く調べたんです。ところが、一つも出てこなかった。どんなに中国を怖がっている国でも「台湾」としか書いていないのです。 興味深いのはベルギーの例です。ベルギーの住民票には台湾人の国籍がフランス語で「台湾共和国」と記されているんです。つまりベルギ−政府にとっては実際に「台湾共和国」が存在しているかどうかは関係ない。あくまでも国内に住んでいる台湾人を管理する上でわかりやすいように書いた。それだけの話です。 このように出入国というのは、各国政府が自らのために外国人を識別するものですから、外国に配慮する必要は全くない。これは主権国家として当たり前のことです。
台湾人のプライドの問題 ■一方、こうした法的な問題とは別に、「中国」表記は在日台湾人の実生活にも深刻な不利益をもたらしているという。 在日台湾人の運転免許書は本籍欄が「中国」となっているんですが、ほかにも携帯電話の契約書や学位証明書のようなものまで本籍「中国」と記載されてしまう。これは外登証の表記が基になっているからです。 しかし、日本人から見れば、本籍「中国」と書いてあれば、それを持っている人を中国人と思うのは自然なことです。誰も台湾人とは思わない。そのために台湾人は非常にイヤな思いをしているんです。 例えば、道路で検問にかかった時の話ですが、免許証を見せると「後ろをあけなさい」といって車のトランクを調べられることがあった。別に何も不審な点はないはずなのに、運転免許証に「中国」という記載があるだけで疑われる。また、留学生たちが部屋を借りる場合は、日本人が住民票を提出するのと同様に、外国人登録済書を提出するわけですが、それには国籍が「中国」と記載されているから入居を拒否されることも多い。 言うまでもなく、こうした反応が出るのは、中国人が日本全国でピッキングや強盗殺人などの凶悪な犯罪を繰返したり、蛇頭のように漁船で密入国するといったことで日本社会に迷惑をかけているからです。 むろん、台湾人はそうした凶悪犯罪とは何の関係もない。密入国する台湾人も一人もいない。オーバーステイはあるかもしれないけど、台湾人は密入国する必要などないからです(笑い)。にもかかわらず、外登証に「中国」と記載されてあるばかりに、そうした中国人らと同一視され、日本での生活が非常に息苦しいものになっている。 ■しかし林さんは、たとえそういう不利益がなくともこの問題は看過できないと、こんな胸の内を披瀝してくれた。 私たちがアピ−ルしたいのは、たとえ中国人が日本の法律を遵守し、人格的にも尊敬されるような人間であったとしても、台湾人はあくまでも台湾人であって中国人とは別。その台湾人のプライドにかけて国籍表記を「中国」ではなく「台湾」にしてほしいということなんです。 在日台湾人の心の底の思いというのは、「中国」が中華人民共和国であろうが中華民国であろうが、日本政府によって自分の出身を示す戸籍が、自分の親ではなく「親の敵」の戸籍に入れられている。そんな気持ちなんです。 「中国」が中華民国を指していた時は、大陸から勝手に逃げてきて、我々の親の世代の優秀な人間を三万人も殺した蒋介石という「全台湾人の敵」の戸籍に入れられたのと同じです。ところが、今は台湾を軍事力で分捕ろうという野心をもった「敵国」の戸籍にされている。こんな屈辱的なことがありますか。 台湾とどうつき合うのか 私はこの問題を単なる事務的な手続きの問題として決着させることは簡単だと思うんです。例えば、日本政府はやはり国交がないという理由で、台湾が発行するパスポートを認めてこなかった。しかし九八年からは事務処理の煩雑さを理由に認めるようになったんです。なにしろ台湾からやってくる観光客は年間約九十万人もいる(笑い)。これまではパスポ−トの代わりに日本の在香港領事館が渡航証明書を発行していたけど、多すぎてとても手が回らないというわけです。 しかし、この国籍表記の問題は、そんななし崩し的に解決してしまっていいのかどうか。むしろ日本にとっても、台湾をどう見るか、中国をどう見るか、台湾や中国との付き合いの中に自主性を持てるのか、そういうことを考えるいい材料になると思うのです。 戦後の日本は、一九七二年までは「中華民国が全中国を代表する」という蒋介石政権と国交を結び中国の存在を完全に無視した。ところが一九七二年以降は一転して「中国は一つ、台湾は中国の一部」と主張する中国と国交を結び台湾の存在を完全に無視している。私はこれを「二つの神話」と呼んでいるんですが、要するに、国交のないところとどうつき合うのかという視点が日本の外交政策には全くないと思うのです。 その点、一つ参考にしてほしいのは米国の台湾関係法です。これは簡単にいえば、米国政府が国交のない台湾とどうやってつき合っていくかという米国自身のための指針・マニュアルで、中身を読んでみると、国民党政権とか中華民国政府といった言葉は出てこない。台湾人民のためにわが合衆国政府がとるべき行動というふうに書いてある。 日本政府は戦後一貫して、本当の台湾を代表する台湾の国民を無視し続けてきましたが、それでも台湾人は日本に好意を持ち続け、暖かい眼差しで見てきた。もうそろそろ台湾に振り向いてくれてもいいんじゃないですか。
2003/09/19 (産経新聞朝刊)
士、可殺不可辱 産経外信部に異議あり! |