無名戦士慰霊祭

台湾はじめての「無名戦士」の慰霊祭が去る11月10日
(2004年)に高雄の旗後海岸公園で行われました。

     

 

会場入り口の道端にならぶ花輪

 

会場、施設中の平和公園

 

元日本帝国海軍の台湾水兵さんご到着

 

台湾少飛会の邱其事務局長

 

来賓のサイン

 

収蔵の写真展示

 

「魂鎮故土」の碑

 

この爺さんは始終身震えし、卒倒

 

日本横浜台湾同郷會呉正男會長さん(左)

 

許昭栄理事長さんが皆様にご着席を

 

国内の御來賓

 

元日本帝国海軍の台湾水兵さん

 

日本からお出でなさったお客さま

 

台湾台、日海交聯誼会のメンバー

 

元日本帝国海軍の台湾水兵さん、整列
「お腹が出ているぞ!」

 

台湾の国会議員もご参加

 

無名戦士に対し、一分間黙祷

 

台湾無名戦士の慰霊碑

 

無名戦士に対し、一分間黙祷

 

台湾無名戦士の慰霊碑、碑文

 

 動画

 

 

 

 

台湾無名戦士慰霊碑の碑文(中国語)

一九四五年八月,日木戰敗投降。十月,蔣介石派陳儀領兵來台接收。翌年五月,駐台國府陸軍第七十軍及第六十二軍,包括獨立九十五師,奉令在台整編,準備調回中國大陸支援國共內戰。陸軍部隊為補充兵員 ,海軍當局為急需接收日本「賠償艦」之人才,特別在左營軍區設立「台澎海軍技術員兵大隊」,各自招募兵員。 

另一方面,國府派赴海南島接收之軍隊,也在海外以「接收」之名,強制留用及收編原日本軍人軍屬台灣技術人員,不計其數。 

國府陸海空三軍均以「報效祖國、防衛台灣」之名義,利誘拐騙失業青少年於先,繼而以「參加二二八暴動」罪嫌為藉口威迫,最後竟採取在大陸「拉丁」之手段,於 一九四五年底至一九四八年間,在台灣各地及海南島不當網羅總共約一萬五千人台灣子弟投效國府軍隊。 

這批可謂「戰後第一代國軍台灣子弟兵」當中,至少有一萬人以上,自一九四六年八月開始,在未告知家長及調派警衛連荷槍實彈監控下,分梯被遣往中國大陸,投入東北、華北「剿匪」前線充當尖兵。中國北方不但冰天雪地、語言不通、人地生疏,而且,在嚴酷的「戰時戰地軍律」下,面對中共之「人海戰術」,進也死,退也死,結果,十之八九屍沙場;約一成半被俘或隨部隊投共;而安然隨國府撤退回台者,僅四百餘人 而已,其中大多數是海軍人員。陸軍人員幾乎都成為「國共內戰」的砲灰! 

當時,終戰伊始,國府倉惶接收台灣,諸事青黃不接,戶籍制度尚未健全,兵役制度尚未實施,尤其部隊各自募兵,志願投軍者外,幾乎都未被登記 「服兵役」,造成一萬餘位「台灣無名戰士」,死無對證! 國府軍隊之腐敗,由此可見一斑。

據國防部二○○三年十一月十九日向監察院報告:「至 二○○三年十月三十日止,經人事參謀次長室核認「台灣光復初期隨國軍赴大陸作戰台籍老兵」之人數為一七○四人,最多估計二千人。 

但根據一九九三年十月,前國府整編 七十師師長陳頤鼎中將在南京總理府接受鄙人訪談,親自證言:「七十師在台招募約七、八千名台灣兵」。僅整編七十師就約有六千人之誤差!可見,國防部 刻意漠視「陣亡、病故、餓死之無名戰士」,情何以堪! 

儘管鐵證如山,國防部仍然不承認有「無名戰士」之存在。六十年來,國民黨政府為逃避責任,相信國防部之論據;政黨輪替後,民進黨政府則保持「此事與吾無關」之態度,不僅未主動追查 戰後「第一代國軍台灣老兵」之歷史真相,甚且不聞不問,實在令人失望,痛心! 

本協會為紀念此段悲壯血淚史實,經過多年之努力奮鬥,始於一九九八年八月爭取到這塊約一公頃之建碑用地。奈何,國府有錢無道;新政府有權無心,國會有案無通!不得己,祇有傾筐倒篋,捐出個人 最後的「棺柴本」,配合日本以及台灣熱心好友之涓滴贊助,粗造這座「紀念碑」,聊表心意,一為歷史見證,二為留給後世憑弔省思。
  

 全國前國軍台灣老兵暨遺族協會   創會理事長   許 昭 榮  謹識
「台灣無名戰士紀念碑」籌建委員會 召 集 人
   
    公元二○○四年十一月  
   

   

(2004/11/11-17:10 5543 「台湾の声」)

    産経新聞(2004.11.11)より転載。

「台湾人元日本兵」記念碑 慰霊祭に遺族ら200人

【高雄=河崎真澄】終戦後に国民党軍に徴用され、中国大陸での「国共内戦」などで辛酸をなめた台湾出身の元日本兵戦没者を祭る「台湾無名戦士記念碑」が建立され、初めての慰霊祭が十日、台湾南部の高雄市で行われた。発起人代表の許昭栄氏(77)は「中台のはざまで、戦後も戦場に追われ続けた台湾人元日本兵の存在を、もっと多くの人に知ってほしい」と話している。

許氏によると、戦後すぐに中国大陸に送られた台湾出身の元日本兵は約一万五千人。しかし一九四九年に蒋介石が台湾に撤退するや、大半が中国大陸に置き去りに。その後、共産党軍の捕虜となって朝鮮戦争に従軍したり、文化大革命で迫害されたりして、一万四千人以上が命を落とした。

この日の慰霊祭は、自らも国民党軍に徴用されながら九死に一生を得て生還した許氏らが“手弁当”で行い、遺族など約二百人が参列した。出席を求めた陳水扁総統や台湾当局の高官らは欠席。許氏は、「国民党だけでなく、民進党政権も元日本兵の台湾人の悲壮な歴史を認めてくれない」と嘆いている。

 

(2004/11/18-08:14 5564 「台湾の声」)
 

 【挨拶文】台湾老兵慰霊祭
 
 
  この度は台湾老兵慰霊祭にお招き頂きまして有り難うございます。
 
  我々日本人に取っては昭和20年8月15日に大東亜戦争は終わりました。しかし、台湾の方々に取ってもは、その後も戦争が続いていたと知りました。
 
  大東亜戦争では、20万人以上の台湾人の方が、日本の為に帝国陸海軍特別志願兵として、高砂義勇隊員として、また、海軍巡査隊、また、海軍少年工員、軍医、看護婦、また、軍属として、この大東亜戦争に従軍され、3万余の方が散華されたとお聞きしております。
 
  日本では、国の為に、その命を捧げた方達は神となり、その子孫を暖かく見守るとの信仰があります。それ故、戦死者は、靖国神社に神として祀られます。大東亜戦争で散華され、調査が済んだ、28000余柱の方々も靖国神社に、神として祀られています。
 
  しかし、大東亜戦争に、日本軍人、軍属として、日本の国策の遂行に協力して頂いた方達が生還復員した後、生活の為、また、詐網されて、また、脅迫されて、中華民国軍に加わり、大陸での国共内戦に投入され、多くの方が戦死したと教えて頂きました。
 
  さらに、この国共内戦では戦死を免れた台湾兵の方達は共産軍の捕虜になり、今度は、朝鮮戦争に投入され、多くが戦死したとお聞きしました。
 
  さらに、この朝鮮戦争から生還した台湾老兵の方達は、今度は、大陸の文化大革命と呼ばれる権力闘争の狂気の中で、旧日本軍人、また、旧蒋介石軍の軍人として、迫害され、多くの方が、虐殺されたと聞きしています。
 
  さらに、この文化大革命の迫害を生き延び、大陸に暮らす台湾老兵の方達を、いかなる理由でか、台湾への帰国が許されず、故郷を思いながら大陸の各地で、その生を終わりつつあるとお聞きしています。
 
  亡くなられた方々の無念、そして、残された遺族の方々の現在までの苦しみを思いますと、いかなる言葉もむなしく感じます。
 
  謹んで、大東亜戦争、国共内戦、朝鮮戦争、そして、文化大革命の狂気の犠牲となって亡くなられた台湾老兵の方方、そして、全ての無名戦士の方達に哀悼の意を表します。
 
  また、大東亜戦争中にバシー海峡では、20万人以上の帝国陸海軍軍人、軍属が戦死しました。南の南湾、そして東港に漂着した御遺体を葬って頂きました地元の方々、そして、その慰霊施設の護持にご協力頂いております皆様方、許 昭榮さん、皆様方、本当に有り難うございます。
 
 皇紀2664年 西暦2004年
 11月10日
 
 英霊奉賛日台交流会
 会長 石戸谷 慎吉 
   
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