| 台北中学五期生同窓会(1) | 
| 校 歌 | 
| 
      
       | 1.此処南瀛の空青く 鎮めと樹てる北の城 文の林や淡水の その名も知るき芝山巌 無言の教え山と水 映りて香りいや高し | 
| 2.笹と桐との旗じるし 尊き聖跡とめる 高き理想の篝火を かかげて進む男児らが ひとたびたたんその時に 成らざることのあるべきか | |
| 3.和協の庭に打ち集ひ 学びの園に遊なる 自戒自律を身にしめて 進め北中八百の 健児の責や重からん 健児の責や重からん | |
| 昭和17年(1942年)頃の校舎 | |
|  | |
|  | |
|  | |
| 
 | 
      
      	  台北中学五期生第十七回同窓会は2006年11月15日台中の長栄桂冠ホテルで行われました。 | 
|  |  | |
|  |  | |
|  |  | |
|  |  | |
|  |  | |
|  |  | |
|  |  | |
|  |  | |
|  |  | |
|  |  | |
| 第十五回の同窓会は2004年11月22日台中の長栄桂冠ホテルで行われました | 
|  |  | |
| 会場の長栄桂冠ホテル | ||
|  |  | |
| 同窓生の到着 | 
 | 開会のご挨拶 | 
|  |  | |
| 記念アルバム | ||
|  |  | |
|  |  | |
|  |  | |
|  |  | |
|  |  | |
|  |  | |
|  |  | |
|  |  |  | ||
|  | 
| 記念撮影 | 
|  | 
| 第十六回の同窓会は2005年12月01日台北の大成ホテルで行われました。 | 
|   | 
|  | 
| 第十七回の同窓会は2006年11月15日台中の長栄桂冠ホテルで行われました | 
|  | 
| 
       | 
|  | 
| 第二十回の同窓会は2009年11月17日台北の大成ホテルで行われました。 | 
|  | 
|  | 
|  | 
| 同窓会の成り行き | ||
| 五期生はかくして結ばれ、そして2009年まで続いた。 | 
       1.五期生は1940年(中学一年)に縁を結んでから69年 | |
| 回数 | 西暦年月日 | 人数 | 地点 | 会合場所 | 備 考 | 
| 第一回 | 1961年 2月25日 | 55名 | 台北 | 国際ホテル | 終戦から16年後蔡啓昭君が始めて第一回の同窓会を始めた。 | 
| 第二回 | 1979年 1月 3日 | 40名 | 台北 | 状元楼 | 蔡啓昭君主催、日本から三好秋光君と陳煥鑫君が参加、そして中南部の同窓を訪ね、非常によろこんで帰国した。 | 
| 第三回 | 1983年11月12日 | 45名 | 新北投 | 新年荘ホテル | 皆飲んだり踊ったりして愉快な同窓会だった。中年の若い時代でした。 | 
| 第四回 | 1986年11月19日 | 41名 | 台北 | 天成ホテル | 地点が台北駅近くで便利なためか、4卓のにぎやかな会でした。 | 
| 第五回 | 1994年11月27日 | 26名 | 台中 | 西北ホテル | 熱心な呉天養氏のご協力で台北から同窓生がたくさん参加、そして中南部の同窓生もたくさん集まった。久しぶりの集まりで酔った人がたくさんあった。 | 
| 第六回 | 1995年 3月26日 | 46名 | 台北 | 天成ホテル | 50周年ということで王紹慶君と呉天養君の熱情的な努力で有意義な会が開かれた。 | 
| 第七回 | 1996年 5月30日 | 30名 | 台中 | 西北ホテル | 台中で開くのは二回目になるが、それでも30名が集まったことは親密度が深まったことを意味していると深く感ずる。 | 
| 第八回 | 1997年12月14日 | 34名 | 台北 | 天成ホテル | 1994年から毎年同窓会を開く事になってから四年目になる。長い間見ていない同窓生がヒョッコリ出席するので皆珍しがり、一層面白くなり、同窓会の味が出て来た感じ。 | 
| 第九回 | 1998年11月29日 | 26名 | 台中 | 江屋日本料理 | 日本料理を皆にはよき味、日本酒も案外と歓迎された。珍しく郭崇礼君と張水波君が出席、そしてマラソンで有名な廖大牛君が出席、只今アラビア語を勉強しているという。皆ビックリした。勉強家だ。 | 
| 第十回 | 1999年11月14日 | 34名 | 台北 | 天成ホテル | 珍しく郭徳発君が出席した。幹部候補生を志願して西筑波飛行場に配属され、特攻予備隊員に指名されたという。そして張長財君が車椅子で出席、僕は元気だと笑う、オーエンズだった。 | 
| 第十一回 | 2000年11月27日 | 33名 | 台中 | 長栄ホテル | 珍しく鄭武雄君、林池蓮君、李崑ト君が参加、それに張江龍君、長い間見たことのない人ばかりだ。 | 
| 第十二回 | 2001年12月 3日 | 32名 | 台北 | 天成ホテル | 珍しい同窓生がたくさん出席した。ブラジルの彭振達君、そして杜錕源君、林尊礼君、郭徳安君、宝物を見つけたように年々発見することが出来た。 | 
| 第十三回 | 2002年12月 3日 | 27名 | 台中 | 長栄ホテル | 黄金章君、蔡春発君、陳広智君等、珍しい同窓生がだんだんと参加するようになった。 | 
| 第十四回 | 2003年11月18日 | 27名 | 台北 | 天成ホテル | 一年に一回の同窓会は九年目になり、出席する人々皆元気いっぱいのように感じる。 | 
| 第十五回 | 2004年11月22日 | 24名 | 台中 | 長栄ホテル | 一年ごとの同窓会は十年目を迎える。皆様頑張って下さいと念願する。 | 
| 第十六回 | 2005年12月01日 | 30名 | 台北 | 天成ホテル | 珍しく許瑞春君(箕山)と葉国治君が参加した。周国雄君も珍しい。それに夫人が5人も参加してるので、やはり同窓会は台北で開いたらよく集まると感じた。 | 
| 第十七回 | 2006年11月15日 | 24名 | 台中 | 長栄ホテル | 浦島太郎のように珍しく張新鐘君が参加したことは非常にうれしかった。そして葉国治君も参加した。蘇廷光君夫婦が車で林胡銘 君と一緒に参加したことは感動的だ。古きよき友の温かい友情は61年後の今も続いていることは尊く有りがたいの一言につきる。 | 
| 第十八回 | 2007年12月04日 | 31名 | 台北 | 天成ホテル | 珍しく日本から陳煥鑫君が万難を排して参加したことは敬意に値する同窓である。傅遠渓君と李元勲君は身体が不調なのに頑張って参加している。 二人とも健康であることを物語っている。 | 
| 第十九回 | 2008年12月21日 | 31名 | 台北 | 天成ホテル | 同窓会の2-3日前は寒かったので参加者は20名位だろうと呉天養君は心配していたが、27名の同窓と夫人が4名、去年と同じく31名という出席率で主催者もよろこんでいた。 | 
| 第二十回 | 2009年11月17日 | 31名 | 台北 | 天成ホテル | 
		今回の同窓会の特色はアメリカから夫婦で参加したのが2組、台湾側も夫婦で参加したのが2組で合計31名の盛大な同窓会でした。 | 
| 第21回 | 2010年11月18日 | 42名 | 新北投 | 新上享食堂 | 
		曽聯嶽兄のご
		招待に心から感謝し厚くお礼申し上げます。今回の参加者は卒業生28名+家族14名=計42名の盛会でした。参加者各位に感謝します。唯だ主席率100%の李傑然
		兄は足の故障で帰って来られなかったのはすごく残念だ!仝氏の早い内にご回復されることを祈願します。同窓諸兄のご健康をひたすら望みます。そして来る日々のご生活をEnjoyされることを祝福します。 | 
| 
		 何と言っても2000〜3000キロもあるアメリカから、毎年ままならぬ足を引きずって参加した李傑然君、しかも今回は日本にも立ち寄らなかった。陳煥鑫君は耳が少し遠いけれど、それを克服して参加したことは敬服に値いするものと言えましょう。皆勤賞の呂春芳君が今年は欠席したことは何といっても惜しいような気がする。 
		 「歳月人を待たず」 ”歳月矢の如し” と今考えて見ればそれは名言であり、終戦から19回も同窓会を開き、そして私達は年に一度会うことが出来、昔のことを語り合いながら私達は80代の年になりました。古きよき友の想い出として沢山の写真を撮りました。何とも素晴らしいことではありませんか。今後とも有意義な人生を送ることが出来る様念願しています。   
		 今回の同窓会で感じたこと、それはいくらか老化した感じだが、皆元気な顔で参加したことである。 
		69年と言えば半世紀以上の歳月であり、よくもこんなに頑張って来た参加者に敬意を表したいし、又誇りに思っている。 2009年11月17日 傅瑞麟 曽聯嶽君の誠意ある招待のためか、同学が28名、夫人と家族友人が14名、合計42名の出席で、今までにない最高出席率である。 出席者はみんな元気な顔ばかりであるが、唯一特別に感じたことは、白髪の方、それに杖を持った方が増えたことである。 又曽聯嶽君は、体調の関係で早退した。 李元勲君は会場の門前まで来たが、連れて来た人が帰った後に体調が悪くなり、食事せずに帰宅した。 呉天養君が会場前でタクシーを呼んで帰宅させた。 呉天養君の深い友情は誰も知らない、彼は又大きい蘭の花を曽聯嶽君の自宅に届けた。 そして五期生同窓会一同と蘭の花に副えて届けた。 全く敬意に値する出来事で、古きよき友とは、このような 「幕後的善人」 を指しているかも知れない。 2010年11月18日 傅瑞麟 | |||||