ヨーロッパ道中スナップ(2)   岡本光司

   2003年11月11日 8時30分宿舎のホテルを発ち、世界遺産ザルツブルグ市内観光に向かう。まず、モーツアルトの生家を訪れ35歳で夭折した天才モーツアルトの生涯に触れる。モーツアルトの生家は、商店街の中心ゲトライド通りにあり、記念館として公開されている。残念ながら館内は撮影禁止。
 次いで、ホーエンザルツブルグ城が最も美しく見え、映画サウンド・オブ・ミュージックの撮影舞台となった素晴らしいミラベル宮殿の庭園を訪れ、ザルツブルグの自然環境との調和を大切にするエコ街づくりに驚嘆。 
 午後、
ザルツブルグにお別れし、湖の美しいモーツアルトの母親の実家があるザルツカンマーグートに向かう。 
 ザルツカンマグートからは、チロル的風景の中を一路、近世中央ヨーロッパの中心ハプスブルグ家の豪華絢爛たる生活を伝える街ウイーンに向かい、夕刻19時過ぎ嘗ての城壁の跡に市内電車の軌道が旧市内を取り巻くように循環しているウイーン市内に到着。夕食会場のレストランがある建物の隣りに、宮殿のような素晴らしい市庁舎が建っており、我々ツーリストの目を圧倒する。レストランの内装がまた、ロココ調で素晴らしく、全員ワインで乾杯して、オーストリアの代表料理、子牛の肉を程良い厚さにスライスして、衣をつけ揚げたウイーン風カツレツの「ウイナー・シュニツェル」に舌鼓を打つ。 デザートは、アプリコットジャムをチョコレートスポンジで挟んだ名物ケーキの「ザッハートルテ」、食事の間ハープ奏者による生演奏。さすがウイーンならではの夕食会となった。

 

モーツアルトの生家(黄色い建物)

 

ザルツブルグ商店街

 

ミラベル庭園

 

ザルツブルグ市内を流れるドナウの支流

 

ザルツカンマグートの美しい湖

 

ウイーン市庁舎

ウイーンでの夕食会


 
11月12日 8時に宿舎のヒルトンウイーンを出発、このホテルもウイーンの街の雰囲気に調和した格調の高いホテルであった。ホテルの部屋に飾ってあった絵画も、19世紀末芸術調のどこか退廃的雰囲気を醸す絵であった。
 
まず、向かったのは、19世紀末宮廷外交の舞台となり「会議は踊る」で知られる1400の部屋を誇るハプスブルグ家の夏の離宮シェーンブルン宮殿である。現在でも何かイベントがあれば、オーストリアの各階各層のグループが、年間を通して「会議は踊る」の舞台となった宮殿の大会議室のフロアで舞踏会を開催するそうである。
  現地ガイドが、自慢そうに「ハプスブルグ家は、その昔から国民に開かれた王家で民主的であったので、他の欧州各国の宮廷に較べ長く続いた」と話していたのが印象的であった。この宮殿は、ハプスブルグ家全盛時代に君臨した大女王マリアテレジアが建造したので知られる。
  この女王は、16人の子供を産み育て(末子がパリ革命の断頭台の露と消えたマリアアントワネット)90歳近く生きた女丈夫で、彼女の時代にハンガリーを併合し、オーストリア・ハンガリー大帝国を築いたことで知られる。彼女は黄色い色が好きで、宮殿の外壁を初め宮殿内部のいたる所が黄色系の暖色で色調が統一されている。内部撮影が禁止されているので、各部屋の豪華な内装・調度品を写真で紹介できないのが残念。末娘のマリアアントワネットがフランスのルイ16世に嫁ぎ住んだベルサイユ宮殿など問題にならないぐらいスケールが大きい。
  次に、オスマントルコの侵入を撃退してオーストリア帝国を守った英雄オイゲン公の離宮で、国立ギャラリーも入っているベルベレーデ宮を訪れる。その庭園は見事である。

 

ホテルの壁に飾ってあった絵

 

夏の離宮シェンブルン宮殿

 

裏から観たシェンブルン宮殿

 

ベルベレーデ宮

 

ベルベレーデ宮庭園

 

立派なウイーン市役所

  ベルベレーデ宮を観た後、ウイーンの日本料亭「旅路」にて、久しぶりに日本食の昼食会。お刺身のお作りも出て飲んべいは、一様に日本酒を熱燗できゅーと一杯聞こし召す。昼食の後、スーベニアショップに寄り、一路オーストリアとハンガリー国境を越えドナウの真珠と呼ばれるブダペストへ向かう。ブダペストには、19時過ぎ到着、ドナウ川の夜景も素晴らしい。

 

車窓から観たドナウ川夜景

    

  2003年11月13日 午前8時に宿泊のホテルを出発、案内の現地ガイドは、ご主人が日本人という日本語ペラペラの日本人大好きというハンガリー女性。
  まず、最初に案内されたのは、市民運動の中心地、中央に天使ガブリエルを乗せた巨大な塔が立つ広場、建国1000年を記念して造られた英雄広場である。独立建国の英雄や狩猟民族国家なので、建国当時の指導者である7人の部族長の銅像があり、ハンガリーを訪れる外国人に最初に見せたい場所のようである。
 次に訪れたのは、ブダ地区にある王宮である。13世紀に建造されたという壮麗なる宮殿である。英雄広場から紅葉の美しい榎木の並木通りを通り抜け、小高い丘陵地に聳えるように立つ王宮に向かう。ハンガリーは大国の狭間にあり、大国の草狩り場として、古来度重なる戦火に見舞われ、再築を繰り返し、オーストリア・ハンガリー帝国のマリア・テレジア女王時代にだいたい現在の姿になったと言われる。
  ハンガリーは、ヨーロッパの中で北欧のフインランドと2カ国だけアジア系の狩猟遊牧民族が、定住し、建国した国家である。現地女性ガイドが、「私も小さい頃お尻に東洋民族の特徴である蒙古斑があった。だからあなた方日本人とルーツは一緒です」と笑いながら語った。
  王宮の次に案内されたのは、王宮と同じ丘陵地にある王宮と同じ13世紀に建てられた、荘厳なゴシック様式のカトリック教会、マチャーシ教会である。歴代のハンガリー王の戴冠式はここで行われたという。
  次にマチューシャ教会に隣接するドナウ川の見張り番「漁夫の砦」を訪れる。ネオ・ロマネスク様式回廊からなるこの砦は、ドナウ川を挟みペスト地区が一望できる展望台である。
  ドナウ川面に美しい姿を映している国会議事堂は、19世紀後半に建てられた壮大なゴシック建築で200もの部屋を有する。
  次いで訪れたのは、ハンガリー初代国王イシュトハーンの名を冠するドームの高さ96メートルというブダペスト最大の教会イシュトハーン大聖堂である。この教会の主祭神は、キリストではなく、ハンガリー王国をキリスト教に改宗した初代国王イシュトハーンである。
  昼食は、ショッピング街のバーツイ通りにあるレストランにて、ハンガリーの名物料理、特産のパブリカで牛肉と野菜を煮込んだシチュー「グラーシュ」とハンガリー風のロールキャベツを肴にこれもハンガリー特産の貴腐ワイン「トカイワイン」を飲む。まさに甘露なり。
 
昼食後、レストランの近くにあるスーベニアショップに行く。奥様方は、メイドインハンガリーの民族色豊かな衣装や手縫いのカロチャー刺繍が安いと買いあさり、家内は、孫娘2人の可愛い民族衣装を購入して大満足。小生も記念に大マッシュルーム(茸)で作った帽子を購入。
 
午後からブダ・ペストから片道1時間半のドナウベント地方の、13世紀建国間もない頃蒙古軍団の来襲に備えて築城した山城とその途中にあるオスマントルコ侵略を免れた古都センテンドレを訪ねる。17世紀にセルビア商人がこの地に造成したカラフルな街並みが残っていた。
  結局蒙古軍団は、矛先を日本に向け九州博多湾に上陸したが、2度にわたる神風に吹かれ海底の藻屑と消えた。
  今夜は、待望のドナウの夜景を楽しむドナウクルーズがあるとのことで、早めにホテルに戻る。夜の帷にドナウが包まれた頃ドナウ河畔のクルーズ乗船場から観光船に乗り、チキン料理をメインにしたワイン飲み放題バイキング方式の夕食を摂りながら、ドナウの真珠ブダ・ペストの夜景を満喫。
  ライトアップされた王宮や国会議事堂、ドナウにかかる、くさり橋を初めとする数多くの橋の夜景がロマンチックで、昼間とは違った街の表情が感動的であった。

  以上で小生夫婦の東欧珍道中記も千秋楽とあいなり、フィナーレを迎えました。   

 

英雄広場

 

ブダの王宮

 

ブダ王宮中庭

 

ブダ王宮中庭その2

 

マチューシャ教会内部

 

漁夫の砦

 

漁夫の砦から眺めたペスト地区に立つ国会議事堂

 

イシュトハーン教会内部

 

ハンガリー風ロールキャベツ

 

蒙古襲来に備えた山城を背景に茸で作った帽子を被りカメラに収まる小生

 

ドノウベントの山城から暮れゆくドナウの流れを眺望

 

船上からくさり橋を望む

 

ライトアップされたくさり橋

 

ライトアップされた王宮

 

ライトアップされた国会議事堂

 

船上で食事を楽しむ小生夫婦


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