ふるさと屏東回帰行
屏中会 岡本光司

 私は、一昨年の福岡市で開催された屏東会で、奇しくも私が屏東小学校3年次に薫陶を受け、生涯の恩師と仰ぐ男沢善子先生の弟、故文二さんと小・中・高校(台北高校)で同期生だったという沖縄県那覇市在の正本昭二氏に巡り会い、以来意気投合、パソコン通信を通して、じっ懇の間柄となり、かねてから平成16年7月15日からの屏東会主催の第38回「ふるさと台湾訪問旅行」に夫婦で是非参加しましょうと、約束し合っていましたが首尾よく実現の運びとなり、実に楽しく素晴らしい「ふるさと屏東回帰旅行」を持つことが出来て、実に幸せでした。 

今回の旅の初めは、まず、全国の主要空港から台北国際空港へフライトして来る一行が空港ロビーに集結し、前屏東県長で現在台湾政府内政部長(日本の総務大臣兼厚生労働大臣兼警察庁長官に相当)をされている、蘇嘉全閣下を表敬訪問するところから始まりました。 

蘇閣下は、にこやかに我々一行を迎えてくださり、一人一人握手されて、それこそ「友遠方より来たるあり、また楽しからずや」の風情で、遠く日本から来た我々一行の労をねぎらい、「屏東県長以来数回に亘りふるさと訪問の皆様にお会いできるのは大変嬉しい」と歓迎の御挨拶をされ、お別れに際しては、一行全員男性はネクタイ、女性はスカーフのプレゼントを戴きVIPなみの接遇に感激した次第でした。                                                                         

 正本昭二先輩御夫妻とは台北国際空港でお会いし、奥様とは初対面でしたが、とても気さくな方で、お陰様で終始楽しく一行の皆様ともども旅することが出来ましたこと、ひとえに、団長の濱会長はじめ森田副会長、更には世話役の尾上高男さんのお陰と、紙上を借りまして厚くお礼申し上げたいと存じます。 

蘇内政部長表敬訪問後、松山空港から高雄国際空港へフライト、高雄到着後直ちに懐かしの夢にまで見た「ふるさと屏東」にバスで向い、夕刻8時近く、懐かしい屏東劇場跡に建つ宿舎の子(王其)飯店に到着すると、前もって連絡していた幼な馴染みの藩茂松君が出迎えてくれ、約60年ぶりの再会を果たした感激に浸る間もあらばこそ、藩君は、小生夫婦と先輩の正本氏御夫妻それに彼の親友で同期生になる尾上高雄君を拉致、行き付けの料亭に連れ出して歓待、久闊を叙する至福のひとときを過ごすことができたのは感謝感激でした。 

翌7月16日は午前中、幼馴染の藩君の案内兼通訳により屏東市公所(市役所)と屏東県政府(県庁)を表敬訪問、市公所では市長さんが出張不在のためナンバー2の女性秘書(日本の助役相当)さんが、県政府では、蘇嘉全県長が内政部長に栄転された後、後任の県長がまだ選出されていない由で、女性の広報主任が歓迎挨拶をされ、台湾の行政庁における女性進出は、日本を凌駕している感じで、民主化がかなり進んでいる印象を強く受けました。

次いで、懐かしの母校屏東小学校(栄国民学校)を訪れ、校長先生が職員と生徒を代表されて歓迎の御挨拶をされた後、校舎を見学しましたが、すっかり近代化された新校舎になっており、プールも室内プールに変わっておりましたが、学校の敷地は昔のままであり、一行の皆さんは、異口同音にあの校舎あたりが赤レンガ校舎だったなあと懐旧の念に浸っておられました。 

午後は、潮州での昼食会後、戦時中小生一家が疎開していた番子寮近くに所在する懐かしのサンテーモン観光に向かい、60年ぶりに見る蕃屋、サンテーモンを縫って流れる下淡水渓の源流の姿は、昔のままであり感無量でした。夕刻、かねてからメールを交わし私の拙い海外旅行記や映像をホームページに搭載して戴いている屏東在の郭徳發氏が、奥様が御病気で入院中にも拘わらず、看護の合間を縫い私の宿泊しているホテルまで訪ねてこられ感激の対面を致しました。

夜は、屏東会主催の晩餐会が開催され、市公所、県政府、学校の関係者およそ70名近くが参加して、お互いに昔の屏東の想い出に浸り、今日までの過ぎ越し方を語り合いカラオケも入り盛会でした。

翌17日は、自由行動の日で、藩君と正本先輩の屏東時代の知友で台北からわざわざ来られた紀啓生氏の御好意により、お二人の車に小生夫婦と後輩の後藤俊郎君それに正本御夫妻が分乗して市内の想い出の地、更に屏東近郊の竹田駅近くの野戦病院軍医として、戦時中近隣の台湾の方々に慕われた池上医学博士が近年建立されて日本の書籍を多数寄贈された「池上文庫」と林辺郷にこれも最近建立された皆さん御案内の流血の2・28事件記念館を訪ねたのでした。最初に、小生一家とその隣の藩君一家が住んでいた家が残っているという屏東公園北側の蕃屋近くにあった大田写真館近くの大宮町に案内して貰い、約60年ぶりに奇跡的に残っていた我が家に再会した途端、幼馴染の藩君たちと、陣取りや、缶蹴りをして遊んだ幼なかりし日の思い出が走馬灯の様に脳裏に甦り感無量でした。

次いで、正本先輩が台北高校への受験勉強をしたという干城町近くの想い出の東山禅寺を訪ねましたが、見違える様に立派な寺院になっており今浦島の感を深くしました。東山禅寺から緑町に抜け財閥藍家の壮大な屋敷や陸軍の階行社、飛行旅団長宿舎、憲兵隊舎があった近辺は多少昔の面影が残っていましたが、黒金公学校から駅前を通り陸橋を越え台湾精糖本社工場の構内に入りますと、瑞竹は勿論、砂糖黍を運んだ軽便鉄道の機関車や貨車、レールも撤去され、高い煙突の工場も解体されて昔の面影は全く消え、台湾における砂糖産業の衰退という時代の流れを感じました。

屏東滞在最終日の18日の昼食に、正本先輩の知友、紀啓生氏の従弟紀展南氏御夫妻から招待を受け、昔の屏東病院前の末広映画館へ行く通りの南側にあった露店街が夜市になっており、その一角に紀展南氏御夫妻の叔母上が経営する小料理店にて、青島ビールで乾杯の後幼かりし日の露店の味であるバーツアン、ビ−コー、バーワン、ビーフン、ユーチャコエ、シュウマイ、ワンタン、鱶のひれスープ、デザートにトコロテンに似たオーギョ、俗称蛙の卵という水菓子や里芋のアイスクリーム、果物は在来種のマンゴー、釈迦桃などお腹いっぱい御馳走になり至福の子供の頃の味わいのひとときを過ごしました。

ちなみに、紀展南氏(開業医)の夫人、張博雅さんは、陳政権前半の台湾政府内政部長で、同席した幼馴染の藩茂松君は、元台湾政府の筆頭閣僚であつた張博雅さんのお酌に感激しきりでした。

このように、ふるさと回帰の想い出を語れば尽きることがありません。できれば近いうち屏東会主催の「ふるさと台湾訪問旅行」で再び屏東に帰りたいと思っています。


屏東会は2009年の訪問を最後とし、幕を閉じることになりました

 

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