私がホームページを開いてから大勢の方よりメールを頂いています。 皆様有難う御座いました。
その中で、昔こちら屏東に住んだ事の有る、宮崎の岡本 光司さんと、沖縄の正本 昭二さんから、お二人とも 「誰が故郷を思わざる」 の BGM
が入った下記のようなメールを頂きました。 岡本さんからのメールです。 2003年9月12日 私は、1933年台北市東門生まれ、父の仕事の関係で、物心付いて育ったところは、屏東市大宮町、屏東公園は、目と鼻の先です。昭和20年3月栄国民学校卒業、同年4月高雄州立屏東中学校最後の入学生です。敗戦で1946年3月日本に引き揚げましたが、私の故郷は、台湾それも幼少時に育った屏東です。公園のスナップ写真、実に懐かしく拝見しました。しかし、昔とは様変わりして浦島太郎です。
ところで、お願いと言いますのは、当時、阿候(屏東)神社境内の直ぐ西側、公園の北西側に位置する大宮町の市営住宅(長屋式)に住んでおりましたが、私どもが住んでいた住宅の背中合わせの北隣り、当時蕃社の南側の角に太田写真館がありましたが、写真館の南側の神社に通じる道路を挟んだ南側に、やはり長屋式の市営住宅があり、ご両親が高砂族出身でなかったかと思いますが、父上は消防局の職員をしておられた藩 茂松(日本名寺本)君という私の栄国民学校時代の1年後輩ですが、一緒によく遊んだ忘れがたい友人がおります。現在、日本で屏東に縁のあった者が屏東会を結成、毎年何人かが、屏東に里帰りしてます。 誠に、身勝手なお願いで、申し訳ありません。郭さんから確かめて戴き、メールで返信戴ければ幸いに存じます。差し支えなければ、今後、郭さんともメル友としてご交誼願えれば幸いに存じます。 再見
郭徳発 大兄
2003年9月18日
郭徳発 大兄 先般のお便りによりますと、貴兄もかなり海外にお出かけのようですが、私も1998年に宮崎県国民健康保険団体連合会常務理事の職を退き、家内と2人連れで海外旅行に出かけてます。
初めての海外旅行は、1985年宮崎県庁に在職中、県知事の命令でイギリス、フランス、ドイツ、イタリア、デンマーク、カナダ、米国の医療保険と老人福祉制度を視察に行きました。
そこで、日本の医療保険制度は、世界に冠たるものであり、医療保険制度で遅れているのは、意外にも米国であると判りました。ですから、米国で病気やけがをすれば、日本では、想像できない出費を覚悟しなければならないと、国連日本代表部の職員の奥さんが、嘆いておりました。
一方お隣のカナダは、宗主国のイギリスと一緒で、医療は国営で税金で賄われていますが、カナダに永住している日本人の知人から、そのため税金が高く、収入の約半分は税金で持って行かれると、こぼしておりました。
デンマークは、スエーデンと同様世界の福祉先進国ですが、この国も収入の半分は、税金で取られ夫婦共稼ぎでないと生活できないと、デンマーク人と結婚している日本人の奥さんは、嘆いておりました。要は、社会保障費を収入のどれくらい負担するか、国民が判断し、国の総意とする問題だと思います。
日本では、官民の指導者の間では、その国民負担率は50%を超えないという、暗黙の了解があるやに聴いてます。
現役時代に欧州を視察して、欧州の歴史や文化、国富の蓄積に観るべきものを感じたので、現役をリタイアして1997年に家内を同伴、イギリス、フランス、ドイツ、スイス、イタリア、と回りました。家内はそれに味を占め、その後毎年1回以上私をせかして海外旅行に2人で出かけてます。今までに訪れた国は、上記以外にスペイン、ニュージランド、シンガポール、タイ、中華人民共和国(上海、蘇州、北京、西安、桂林、長江三峡下り、)米国西部(サンフランシスコ、ヨセミテ、グランドキャニオン、ラスベガス、ロサンゼルス、サンジェゴ)。
台湾は残念なことに、4回家内と旅してますが、故郷屏東は、日台福祉関係親善友好視察団の副団長として市街地をかすめ、里港近くの知的障害者施設「伯太尼之家」を訪問し、台湾省政府の招待の席に出席するため、屏東市内を散策する時間もなく、南投県中興新村向けて出発したので、誠に残念ですが、里帰りしてません。
そう遠くない機会に、正本大先輩ご夫婦とご一緒に訪屏できれば幸せだなあと、思っているところです。
先年、家内とスペイン旅行した際、セビリアの万国博覧会記念公園内のスペイン館の近くで、出初めの頃のオンボロデジカメで撮った不鮮明な写真で恐縮すが、送ります。ご笑覧ください。それでは、また、メールします。お元気で・・・。 郭徳発 様 9,18,03 岡本光司 (2000年4月セビリア万博記念公園にて)
2003年11月30日 郭徳発 様 永い間ご無沙汰しておりましたが、お元気にてお過ごしのことと存じます。 実は、家内同伴で年に一回海外旅行を楽しんでいますが、ご無沙汰している間に中央ヨーロッパ4カ国を11月6日から10日間の日程で珍道中宜しくさっと駆け抜けてきました。 詳しくはまた後日、整理してお便りしますが、総じて言えば、中央ヨーロッパに訪れた都市は、私が想像していた以上に中・近世ヨーロッパの歴史的遺産を色濃く残し、かつ、緑に包まれた自然景観は素晴らしく、今年のヨーロッパの夏は死者が出るほどの暑さだったため、紅葉の季節の訪れが遅く、各都市は、樺太の北部から中部ほとんど北緯50度以北にもかかわらず、秋の真っ最中で紅葉(欧州の紅葉はほとんど銀杏のような黄金色)が見事でした。通常の年であれば、初冬は枯葉の季節だそうです。 全行程晴天に恵まれ、気温も日中平均摂氏7〜8度最高に快適で素晴らしい旅になりました。私に言わせれば、必見のお奨めコースです。旅で訪れたところのほんの一部の画像を添付しましたのでご笑覧ください。 11月30日 岡本光司・博子 添付の最初の画像は、ウイーンのベルベレーデ宮、 2番目は、ドナウ河沿いのブダ・ベぺスト国会議事堂、 3番目はプラハ市街 4番目はプラハのブルダヴァ川から観た王宮とカレル橋、5番目はブダ・ペストの王宮 6番目はウイーンハプルブルグ家のシェーンブルグ宮 7番目は欧州の紅葉風景
岡本さんの ヨーロッパ道中日記 ふるさと台湾訪問の旅
正本さんからのメールです。 2003年9月13日 郭徳発様 宮崎市の岡本光司君からご紹介を頂きました沖縄県、那覇市に居住する正本昭二です。 屏東生まれの屏東育ち、屏東小学校、高雄中学卒、終戦時は台北高校に在学中でした。 屏東は私の心のふるさとです。 宜しかったら、今後メル友として交信いたしましょう。 私は1927年生まれです。 では宜しく。 正本昭二、愛子
郭徳発賢兄 私のメールの貴兄のホームページへの掲載OKです。
私の屏東訪問は40年前に、親父が(警察官でした)、天一呉服店主の紀存さん(故人)、陳坤生(チンコンセイ)先生、(元屏東ロータリークラブ会長)等の屏東の有志に招待され、私を同伴して訪問したのが最初で、2回目は女房を連れて私の生まれ故郷を紹介する為の夫婦旅、3回目は沖縄の友人との観光ツアーで、最後は1995年12月、高雄中学第19回生卒業50周年記念母校訪問ツアーで夫婦同伴で出席しました。「私のふるさとの原点は屏東にあり」です。 添付写真は全国寮歌祭沖縄大会に参加した時のものです。
屏東市に栄光あれ! 正本昭二、愛子 |